雨の日は嫌いだ。

雪の日も嫌いだ。

きっと雹の降る日も嫌いなんだろうと思う。

まだ、そんな日には出会ったことがないけれど。

とにかく。

野球のできない日は、全部嫌いなんだ。











「よう降るなぁ」

 豪の言葉に、巧は言葉で返さず小さく頷いた。
 梅雨に入り連日の雨。できることと言ったら、筋トレを室内でやることぐらい。それも、普段外でのみの活動である野球部には体育館に居場所などない。仕方がないので、教室の机をどかし作った場所でのストレッチや、廊下での走り込みといった程度だ。
 ボールに触れるなど、そんな時間ありはしない。
 いい加減にして欲しいとそう思う。季節なのだからと言ってしまえば、それは仕方がないことなのだが、それでも。誰かに文句の一つでも言いたくなる。
 二人一組でストレッチをしている最中、うんざりとした様子の巧に、豪が苦笑しながら背中を押した。
「巧、そんな顔するなや」
「何だよ」
「お前、顔が不機嫌そうだぞ」
 よいしょ、と体重をかけられ巧の背中が曲がる。普段から鍛えている身体には、そんなことは何でもないことだが、ただ一つ、豪の掌が気になって仕方がない。
 元々、巧は他人に触れられることが苦手だ。それは家族でも例外ではなく、弟に抱きつかれるのも、母親に肩を触られるのも嫌だった。自分の体温が低すぎるのか、他人の熱が鬱陶しく感じられるのだ。
 ましてや、このじっとりとした湿度の中では、豪の掌がやけに熱く感じられた。
 ストレッチでなければ、きっと、絶対、逃げ出している。
「こんな雨の日じゃ。仕方ないって」
「分かってるさ」
「そうか」
 巧の思うことなど分かってるとばかりに、背中を押す力が強まった。
 より密着した熱に、巧が眉を顰める。豪が笑った。
「我慢せい」
「うるさい」
 憎まれ口を叩き、顔を伏せた巧に豪がまた笑う。
 他人との接触が苦手な巧を、豪はいつも笑って見逃してくれる。その気持ちは、素直に嬉しいと思う。他の人間なら、巧の態度に頭にくるだろうことでも。豪は笑って、悪いと、豪は少しも悪くないのに謝るのだ。
 本当は、豪の熱はそこまで、嫌じゃない。触れられるのも、本当は。
 だけど、別の意味で豪の熱は苦手なのだ。触れられるとなんだか落ち着かない。
 自分が自分じゃなくなるような、その感覚を、どうしたらいいのかまだ巧には分からないから、他の人間に対するようにしかできないのだ。だけどそんなこと、口が裂けたって言わないけれど。
 勢いよく身体を戻し、立ち上がった巧に豪の手が宙に浮く。
「ど、どうしたんじゃ」
「50回。終わっただろ?今度はお前の番だ」
「あ、そうじゃった」
 一瞬、驚いたように口を開いた豪が、すまん、すまんと頭を掻いた。
 位置を入れ替え、豪の背後に回った巧は、ちぇと小さく舌打ちした。何だってこいつはこんなにも大きいのだろう。自分とは違う広い背中を、悔し紛れも含め、強く押した。
「あいたっ!痛いぞ、巧」
「我慢しろって」
 先ほどの豪と同じことを言い、巧は笑った。
 ほんの少しばかり八つ当たりをしたっていいだろう。
 さらに強い力で背中を押した。低く呻いた豪の口元が歪んでいる。
 なんだかおかしい。込み上げる笑いを、堪えながら豪の背中を押す巧に、豪が怪訝そうに振り返った。
「何じゃ。何がおかしいんじゃ」
「別に」
「そう言いながら笑ってるじゃろうが。いきなりどうしたって言うんだ」
 先ほどまでの不機嫌ぶりはどこへやら。急に機嫌よく笑い出した巧に、訳が分からんと、豪の眉が寄せられる。そんな豪に素知らぬふりをして巧は最後に背中をばちんと叩いた。
「終了!」
「あのなぁ、巧・・・」
「何だよ?」
「もう少し・・・いや、いい。お前のことじゃった」
 小言は聞かないからな、とばかりにふいっとそっぽを向いた巧に、はぁ・・・と深くため息を吐きながらも、滅多に見れない巧の笑顔を思い出し頬を染め豪は俯いた。
 まったく、もう少し自覚ってのを持つべきじゃと思うんじゃけどなぁ。
 反則技ばかり上手くなりおって。
 しかも本人の自覚なしと来たら、もう豪にはお手上げだ。
 それでも負けてばかりは悔しい。
「巧」
「え?」
 左手を、引き寄せる。突然の行動に巧の瞳が大きく開かれた。薄く開いた唇を、掠めるように通り過ぎた唇に巧の目元が真っ赤に染まる。
「豪!」
「声が大きいぞ、巧」
 してやったりと、にやりと笑った豪が顎をしゃくる。慌てて周囲を見れば、きょとんとした表情の部員達が何事だ?と二人を見ていた。
「バカ、何すんだよ、いきなり」
 声をひそめて巧が抗議する。その目元がまだ紅いままなのに豪は満足げに目を細めた。
「負けてばかりは悔しいからな」
「はぁ?何寝ぼけたこと言ってんだよ?」
「こっちのことじゃ」
 ついっと横を向いた豪の口元が緩む。可笑しくて堪らない。
 巧が甘えていることなんて本当は分かっている。甘えてもらえる位置に自分がいることがとても嬉しいと思う。巧と同じように、降り続く雨にうんざりしていた心も今は軽くて。まだ抗議の眼差しを向ける巧に、ほれ、次は腹筋じゃと促した。





雨は嫌いだ。野球ができないから。

それでも。

豪がいるなら。巧がいるなら。

雨の日でも悪くない。





「なぁ・・・サワ・・・」
「なんじゃ、ヒガシ・・・」
 疲れたように沢口を振り返った東谷が、ぽつりと呟いた。
「あれこそいい加減にしてくれと思うのはオレだけか?」
 梅雨。降り続く雨の鬱陶しさよりも何よりも。
 腹筋を始めた二人の姿に、沢口も頷いた。
「ヒガシ・・・人生諦めが肝心なんじゃ」
 そして、二人同時に重いため息を吐いたのだった。









END




梅雨明けしたというのに、梅雨ネタです。
前から書いていたのが、ようやく書きあがっただけなんですが、豪と巧のバカップルぶりに正直八ツ橋も吃驚です。おかしいなぁ・・・もう少しシリアスっぽくなるはずだったのに・・・どこで間違えたのかしら?(遠い目)まぁ、なんと言うか、雨の日の部活動っていつもとなんだか雰囲気が違ってていいですよね。密着度が高くなる気がするのは私だけでしょうか(笑)


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