猫を拾った。
小さな声で鳴くことしかできない捨てられた仔猫。





仔猫と青い傘







あれは突然の雨に降られた学校帰りのことだった。
あいにく傘を持っていなかったは、近道である川原の土手を走っていた。

響く静かな雨音の中。
ぱしゃぱしゃと走る足音と、増水した川の、いつもより早い流れ。

早く帰らないと・・・そう思い、一生懸命走っていたは。

必死に鳴いては母親を呼ぶ鳴き声に、思わず足を止めた。

汚れたダンボールの中・・・
震えながら、それでも必死に声をあげる仔猫。
降り続ける雨は、容赦なく小さな仔猫の体温を奪い・・・
最後にはその小さな生命すら奪うだろう。

かわいそう・・・そう思ったわけじゃない。
ただ・・・必死で生きようとするその仔猫に、何かしてあげたかった。

自分にできることなんてそう幾つもないけれど。
それでも。
震える身体を温めてあげることぐらいはできるから・・・。

ダンボールからそっと抱き上げた仔猫を、濡れないように胸に抱き締めた時。
急に雨に打たれなくなった。
え・・・?と思って振り返った視線の先に、飛び込んできた青い傘。


―――使って?


戸惑うに、微笑みながら濡れないよう傘を差し掛けてくれた人は。
家が近いから・・・そう言って半ば強引に傘を手渡して走り去ってしまった。


何かを言う前の出来事。
残された青い傘が、仔猫の金色の瞳に映っていた。










あれから一週間。
突然の雨はなかなか止まなくて・・・今朝、ようやくのぞいた青空。

「にゃぁ・・・・」
「おはよう、アオ」

隣りであがった小さな鳴き声に、は笑って覗き込む。
一週間前に拾った仔猫が、きらきらと大きな瞳で見上げていた。
そっと頭を撫でてあげると、嬉しそうに目を細め、ゴロゴロと咽喉を鳴らす。

あの日の仔猫は、アオ、と名付けられた。

ネコはねぇ・・・と渋る母親を説得し。
ちゃんと面倒を見るなら・・・という条件付きで飼うことが許された仔猫。

刷り込みでもあったのか、の側を離れまい・・・とばかりにいつでもどこにでもついて来る。
いまやのベッドは彼の―――男の子だったのである―――最もお気に入りの場所となった。

「ご飯食べようか」
「にゃー!」

の言葉に嬉しそうな声をあげて、アオがの周りをぐるぐると回る。
足に纏わりつくアオを、蹴飛ばしたりしないよう慎重に足を運び、一階のキッチンへと降りた。


今日は水曜日だけれど、創立記念日で学校はお休み。
遅い朝食をとるに、母親が話し掛ける。

、この子病院に連れて行ってきなさい」
「アオを?」
「だって飼うんでしょう?飼うからにはちゃんと予防接種とかしないと」
「そっか・・・予防接種しないといけないんだっけ」
「雨もようやくあがったことだし・・・こういうことは早い方がいいわ。ねぇ、アーオ?」

話し掛けた母親に、にゃぁ〜と返事をして、またミルクを飲み出すアオ。
最初文句を言っていた割には、意外とかわいいみたいで。
どうやらこの一週間で、アオは我が家の一員として受け入れられたらしい。
最大の難関であった母親がこうなのだから、他の家族は何をやいわんや・・・である。










「う〜ん、晴れていい気持ち!」

母親に言われて、早速近くの動物病院にアオを連れて行った帰り。
アオを拾った土手に、なんとなく足が向いた。

空は雲ひとつない青空で・・・気持ちのいい風が優しく吹いている。
川はまだ増水したままだし、色もまだ濁っているが、晴れやかな空に心まで晴れやかになる。

久々に顔を出した太陽に、すっかり渇いた道路をアオがとてとてと走る。
時たま、草むらに顔を突っ込んでは、もぞもぞと何かをしているが、何をしているかはからはよく分からない。
分からないが、どうも何か虫がいるようだ。
アオは追いかけたいけれど、虫の方が素早くてあっと言う間に視界から消えてしまうらしい。
諦めてはまた見つけて逃げられる・・・その繰り返し。

そんなアオの後ろ姿に思わず笑いが零れる。
くすくす・・・と笑うの目に、地面に映った人影が見えた。

何気なく振り返った先に。

あの時の彼がいた・・・。










「こんにちは」
「こ、こんにちは」

突然のことに驚くに、彼がにっこり微笑んで挨拶をする。
透き通るような茶色の髪が風にさらりと流れ、白い頬に影を作った。
整った端正な顔に、優しい微笑みを浮かべてより少し年上そうな彼が話し掛ける。

「その子・・・この間の子だよね?」
「え、えと・・・はい」
「飼うことにしたの?」
「なんとか・・・許して貰えましたから・・・」
「良かった!あれから気になっていたんだよね・・・そっか・・・飼うんだ」

彼は、の言葉に嬉しそうに微笑んで仔猫を見つめた。
視線を感じたのか、アオが、にゃぁ〜と鳴いて振り返る。
その仕草に、ふふ・・・と笑って彼が視線をに戻した。
柔らかな微笑みにどきりとする。
かぁーっとなった頬に、焦りながらはばっと頭を下げた。

「こ、この間はどうもありがとうございました!!」
「どういたしまして。あれから大丈夫だった?」
「は、はい!おかげさまで・・・」

そこまで言った時、唐突に傘のことを思い出した。
返さないと・・・!

「すみません、今持ってはいないんですが、必ずあの傘お返ししますので!」
「え・・・いいよ?別に?」
「いえ、ちゃんとお返しします!あの・・・お名前伺ってもよろしいでしょうか?」
「律儀なんだね・・・ふふ、僕は不二周助って言うんだ。君は?」
「え?私ですか?し、失礼しました!人に名前を聞く時は自分から・・・ですよね、あの、私はと申します」
ちゃん・・・か。かわいい名前だね」
「あ、ありがとうございます・・・あの・・・それで傘なんですけれど・・・」

何気なく呟かれた言葉に、真っ赤な頬がさらに真っ赤になった。
あたふたと動揺するに、不二がくすりと微笑む。

「ほんとかわいいね・・・ちゃんは」
「・・・え、えと・・・」
「そうだ、じゃあ、こうしよう?」
「は、はい?」
「明日またここに来るから、その時傘を渡してくれる?」
これが一番いい方法だと思うんだけど・・・
「・・・そうですね、それでお願いします!」
「時間は・・・そうだね、用事があるから6時ぐらいで・・・大丈夫かな?」
「はい、大丈夫です!6時ですね」
「ふふ、じゃ、また明日ここで」

不二の提案に頷いたに微笑んで、不二が立ち去る。
その後ろ姿を見送りながら、は、真っ赤になった頬をぺちぺちと叩いた。

「あ〜もう・・・格好悪い・・・」
「にゃあ〜?」
「ん?アオのことじゃないよ、私のこと。さてと、それじゃあ帰りますか?」
「にゃあ!」

返事と一緒に、ぴんと立てた尻尾が揺れる。
前を行くアオの小さな背中を見つめながら、は自然と零れる笑みに気がついた。


何笑ってるんだろう・・・私。
ううん、それ以前に何がそんなにも嬉しいんだろう?
こんなにも心が浮きたつなんて・・・もしかして。


あの人に・・・不二さんに会えるから?


自覚した途端、心にすとん、と何かが落ちた。
それは恋をした・・・ということ。


会って間もない人なのに。
言葉すら少ししか交わしていない人なのに。


気がつけばこんなにも心惹かれている。


別にあの人の外見に魅せられたわけじゃない。
あの時。
傘を差しかけてくれた、優しさが。


すごく嬉しかったんだと、今さらながらに気づいた。


名前しか知らない人だけれど、あの優しさはきっと本当だから・・・。


あの人にもう一度でもいいから会えることが嬉しかった。
振り仰いだ空の、澄み切った青さに瞳を閉じる。


心に浮かぶのはあの柔らかな微笑みだった・・・。










「ごめん、待たせちゃったかな?」
「いいえ、私もさっき来た所なんで・・・」

待ち合わせの6時より少し遅れて、不二が約束の場所にやってきた。
急いで走ってきたのか、少し息を切らしている姿には申し訳なく思う。
そんなに不二が申し訳なさそうに誤った。

「ほんと、ごめんね?用事が長引いちゃったものだから・・・」
「ほんとに気にしないでください!それから・・・この傘・・・本当にありがとうございました」
「ああ、ありがとう」
「それと、これ・・・たいしたものじゃないんですが、お礼に・・・貰って頂けますか?」
「え?良かったのにそんな・・・」
「いえ、本当にたいしたものじゃないんです!私が焼いたクッキーなんですが、お口に合うかどうかも分かりませんし・・・」
「ふふ、ありがとう。大事に食べさせてもらうよ」


そう言ってふわりと微笑んだ不二に、は泣きたいような・・・笑いたいような・・・そんな気持ちになった。
胸を占めるのは、もう一度会えた嬉しさと、もう会えないかもしれないという想い。


だって不二さんは、傘を取りに来ただけだから・・・


ちゃんは・・・猫好きなの?」
「え・・・?あ、はい!大好きです!」

会えないかもしれない・・・そう思い俯きかけたに、不二が優しく聞く。
予想もしなかった言葉に、慌てて顔をあげて答える。

「一人でもいられる・・・強いところとかには憧れますし、でも意外と寂しがりやで甘えっ子なところとかはかわいいな〜って」
思うんです

そう答えたに、不二が目を細める。

「そっか・・・僕も猫は好きだよ」
プライドのあるところがね、気に入ってるんだ

さりげなく差し出された右手に、「世界の猫展」のチケットがあった。
「世界の猫展」・・・少し前からデパートで開かれている催し物である。
世界中の色んな猫を見ることができるのだが・・・チケットを差し出すその意味がよく分からなくて、目を瞬かせたに不二が笑う。

「あのね、これ一緒に行かないかな?」
「・・・え?私と・・・ですか?」
「うん。猫見たいんだけど、さすがに一人だと・・・ね。行きにくいかな〜って」
「い、いいんですか?私とで?」
「イヤかな?」
「ないです!そんなこと!!全然!まったく!!」
「良かった。猫好きな人に出会えて」

嬉しそうに笑う不二に、の心が震えた。


ああ、この人のことが自分はとても好きなんだ・・・と思う。
会ったばかりなのに・・・そう思っても、自分の心は正直で。
もう一度会える嬉しさに、震えている。


はにかんだような小さな笑みを浮かべたを、不二が優しく見つめていた。
嬉しさで胸がいっぱいだったは気がつかなかったけれど。



その後、日曜日に出かける約束をして別れた二人。
一緒に行った猫展のお話はまた別のお話・・・。










END




初夢小説。
コンセプトは・・・王子様な不二先輩・・・。
ただし、管理人の性格により、王子様の定義が微妙にずれています。
とりあえず、少女漫画風味が色濃くなりました。
猫展に行ったお話は、もしも読みたいという方がいらっしゃいましたら書きます。
いらっしゃらなければ書きません。


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