ささやかな、願い それは何気ない一言から始まった。 「リンゴが食べたいな」 普段は衰弱した身体を維持するため、深い眠りにつくばかりの最長老が目を覚ました際の本当に何気ない一言。 「リンゴ・・・って、流動食だって少ししか口にしない状態で何言ってるんですか」 ソルジャー・ブルーが食事をしてくれないんですとドクターに泣きつかれて様子を見に来たジョミーは呆れたように外見年齢十八歳、でも実は三百歳越えのベッドの主を見た。それにブルーが身体を横たえたままにっこり笑う。 「流動食は飽きたんだ」 「飽きた・・・って、ブルー」 「だって仕方ないじゃないか。目覚める度にそればかりではさすがに僕でもいい加減飽きると言うものだよ」 だから。 「リンゴが食べたい。それもジョミーが剥いてくれたものがいいな」 そうにこにこ笑って見上げる美しい人に、正直頭を抱えたくなったとしても誰にも文句は言われないだろう。 何だ、このワガママじいちゃんは。 本当にこれが伝説のタイプ・ブルー・オリジンなのか。 そりゃあ、ブルーに食欲が出てきたのは嬉しいことだけれど、何故にリンゴ。そして何故に僕の手剥きなんだ。 「ジョミー」 そっと伺うように名を呼ばれ顔を上げる。 無駄に―――そう、無駄に、だ―――子供のように真紅の瞳を輝かせてオネダリをする様子に小さくため息を吐く。 「・・・分かりました。リンゴですね。今もあるかどうか分かりませんが、栽培室の担当に聞いてみます」 立場が逆転してるんじゃないのか、とか偉大な長としてどうなのかとか色々思うところはあったが、それで少しでもブルーが食事をしてくれると言うのなら剥いてやろうじゃないかと青の間を後にした。 数分後、栽培室から事情を話し譲ってもらった採れ立ての真っ赤なリンゴと、調理室から借りてきた包丁を持って戻ってきたジョミーに、ブルーの美しい真紅の瞳がきらきらと期待に満ちる。 「あの・・・そこまでガン見されると逆に剥きにくいんですけれど・・・」 「いいじゃないか。ジョミーが僕のために剥いてくれるんだ。嬉しくて一挙手一投足見ていたいんだ」 にっこり浮かべた極上の笑顔に知らず耳まで真っ赤に染まる。本当にこの人は性質が悪い。絶対分かってやっているんだろうと、じとりと睨んでも返ってくるのは、それは楽しそうな笑い声ばかり。 気にしないでリンゴを剥こうと包丁を動かそうとも、手元に強い視線を感じてどうにもこうにも落ち着かない。ああもう、ただでさえ家庭科なんて得意科目じゃなかったのに!手元が狂ったらどうするんだと、とうとう耐え切れずにきっと顔を上げて厳命する。 「あっち向いててください。どうしても向かないって言うなら、リンゴ・・・剥きませんよ?」 ええ・・・と残念そうな顔に負けるものかと顔を精一杯顰めたら、仕方ないとごそごそベッドの反対側を向いた。そうするとこちらからはブルーの頭しか見えない。 「いいですか、絶対いいですと言うまで振り返らないでくださいね?」 もちろんサイオン使っての覗き見も禁止! 「・・・何もそこまでしなくても・・・」 「じゃあ、リンゴ食べたくないんですね?」 「・・・分かった」 不承不承と言う感じながらも微かに頷いた銀髪に、よし、と手元のリンゴへと移す。収穫目前だったその赤くて丸いリンゴからは仄かな甘い香り。さぁ、どこから手を付けてやろうかとジョミーは瞳を細めた。 悪戦苦闘すること十数分。 ようやくできた!と皿を見れば、不恰好ながらも皮を剥かれたリンゴが幾つか青白い灯りに照らされていた。時間は掛かったけれど、我ながら上手にできた、と思う。それに口元を綻ばせ、ジョミーの言いつけを守り反対側を向いていたブルーにいいですよと促した。 しかし、いそいそと起き上がったブルーが皿の上のリンゴを見て、明らかにしょんぼりと肩を落としたのに、あれ?と思う。 「ブルーが食べたがっていたリンゴですよ?どうしたんですか?」 「・・・じゃない・・・」 「はい?何ですか?小さくてよく聞こえないんですけど・・・?」 慣れない中、こんなに一生懸命剥いたリンゴなのに一体何が不満だと言うのだろうと少々面白くない気持ちで問い返せば、ようやくブルーがぽつりと口を開いた。 「・・・うさぎさんリンゴじゃない・・・」 「・・・は?」 この人の口からそんな言葉が出るなんて思いもしなかったから、ジョミーはあんぐりと口を開けて空耳かと思わず聞き返していた。それに、ブルーがそれは悲しそうに瞳を伏せて、力なく呟く。 「僕はジョミーの剥いてくれたうさぎさんリンゴが食べたかったんだ・・・」 「あ・・・あなたは子供ですかっ!」 呆れの次は、怒り。自分がブルーのためにと頑張って剥いたリンゴがそんな理由で喜んでもらえないなんて。慣れない作業をブルーのためだからと頑張った自分がなんだかバカみたいで、そしてそれがとても悲しかった。無言のまま立ち上がり、リンゴを皿ごと手に取る。 「ジョミー?」 顔を上げたブルーが驚いたようにジョミーを見た。 「ジョミー、泣いて・・・」 「泣いてません!」 こんなことぐらいで泣くものかという想いとは反対に、零れ落ちそうになった熱いものを堪えるように唇を噛んで顔を背ける。 「・・・僕は・・・仕事がありますので」 失礼します、と名を呼んだブルーに振り返ることなく青の間を飛び出した。 『ジョミー・・・まだ怒っているんですか?』 あれから一週間。青の間に近づこうともしないジョミーと、青の間でベッドから出ることを許されないブルーを心配して、リオがそっと伺うようにジョミーを見た。 「・・・別に、怒ってなんか・・・」 柔らかなリオの思念に、少しだけ拗ねたように答える。時刻は日付変更線を越えて久しい。とうに皆寝静まった廊下に、長引いた会議の後自室へ向かうジョミーとリオの二人の影だけが薄っすらと灯された明かりの中伸びていた。 『寂しがっておいででしたよ。思念で呼びかけても返事をしてくれないと』 誰が、なんて分かりきっている。 『もう一週間も会いに行かれていないじゃないですか』 「・・・い、忙しかった・・・から」 嘘だ。本当はわざと忙しくしていた。会いに行かない理由を作るのに必死だったから。 だって悔しかった。 自分はこんなにもブルーのことが好きで、ブルーのためにと苦手なことだって頑張ったのに。当の本人のあの態度はあんまりじゃないかと思う。正直とても悔しかった。悲しかった。自分一人だけ、なんてバカみたいだ。唇を噛んで俯いたジョミーに、リオがまったくあの方は言葉足らずなんですからと苦笑した。 『ジョミー、聞いてください。あの方がうさぎさんリンゴに拘ったのには理由があるんですよ』 理由?リンゴを食べるのに理由なんて・・・。 『覚えていませんか?運動会の日のことを』 ・・・?なんでまた運動会?リオの意図が掴めず思わず顔を上げたジョミーに、リオが思い返すように瞳を閉じる。 『あなたがまだ幼稚園に入ったばかりの頃だったと思います。初めての運動会で、ジョミーのお母様が張り切って作られたお弁当の中にうさぎさんリンゴがあったんですよ』 ああ、それなら朧げに覚えている。確か、大好きなから揚げとポテトも一緒に入っていたような・・・。そう、その時かけっこで一等賞を取ったんだっけ。よく頑張ったね、って褒められてとても嬉しかったから。マムやパパ、そして・・・そして・・・? 不意に記憶を掠めた銀と紅。 「・・・え?」 何かが引っかかる。思い出せそうで思い出せない何かに、眉を寄せたジョミーの脳裏に柔らかな声が響いた。 ―――よく頑張ったね、ジョミー。おめでとう。 ふわりと笑った美しい真紅の瞳に、頭を撫ぜる優しい腕。 「まさか・・・」 『思い出したんですか、ジョミー?』 「・・・え?だって・・・え・・・?」 まさかブルーが運動会に来ていた?信じられない事実にリオを見れば、リオがくすりと笑いながら頷いた。 『あの方は、それはもうジョミーの初運動会を楽しみにしておられて、間近で応援したいと私達が止めるのも聞かずにこっそり思念体で応援に行かれたんですよ』 な、何やってるんだ、あの人は。思わず零れ落ちたため息に、くすくすとリオが笑う。 『本当にすごかったんです。帰って来られてからもジョミーがどうだったこうだった。かけっこでは一等賞を取ったんだよ!って』 ご自分のことのように大はしゃぎで。 「ブルー・・・」 その様が目に浮かぶようで、じんわりと胸にあたたかな想いが満ちて行く。 『でも、一つだけとても悔しがっておいでだったことがあって・・・』 「悔しがるって、何を・・・?」 問い返したジョミーに、リオが真面目な顔になった。 『せっかくジョミーが差し出してくれたうさぎさんリンゴを食べられなかった、と』 そうだ。そうだった。褒めてもらえて嬉しかったから。マムのうさぎさんリンゴを一緒に食べようと差し出した記憶が・・・ある。 『思念体では物を食べることはできませんからね。かと言ってサイオンで船に移動させては、ただでさえ極秘行動でマザーの目を誤魔化しているのに船の位置まで特定されてしまう恐れがあるからと泣く泣く諦めたそうですよ』 だからうさぎさんリンゴに特別な思い入れがあるんです。いつか、ジョミーと一緒に食べたいと・・・そう優しげに微笑んだリオに、もうダメだった。会いたくて。ただあの人に会いたくて。 「・・・ごめん、このまま行くよ」 『ええ、そうなさってください』 でもちゃんと休んでくださいよ?背中から追いかける思念に頷き走り出した。 想いは、あの人の下へ。 「ブルー!」 「・・・ジョミー・・・?」 青白いベッドの上、ゆっくりと身体を起こした愛しい人に、飛び込んだ勢いのまま抱きつく。ただし、倒してしまわないよう力を掛けすぎないよう細心の注意を払うのを忘れない。突然の来訪に驚いたように見開かれた真紅の瞳を覗き込んだ。 「ごめんなさい。この間は言い過ぎました」 胸を占める想いを上手く言葉にできなくて、そう告げるだけで精一杯なジョミーに、ブルーが瞳を瞬かせ、次いでふわりと微笑んだ。世界で一番大好きで、大切な笑顔。溢れ出しそうな想いを堪えるようにぎゅっとブルーを抱き締めたジョミーの背中に、ブルーの腕が回る。 「いいや、僕こそすまない。君がせっかく僕のために剥いてくれたものだったのに」 心から申し訳なさそうなその声に、いいんですと首を振る。 「もう、それはいいんです。最初に剥くのを見ないでくださいって言ったのは僕ですから」 そう。最初からブルーがリンゴを剥くのを見ていたら、うさぎさんリンゴがいいと言えたはずなのだ。それを恥ずかしいから、落ち着かないからという理由で拒んだのは自分。考えてみたら原因の一端は自分ではないか。だからブルーは悪くないとそう言い募ったジョミーに、ブルーがしかし・・・と続けそうになったのを遮る。 「もうそれは本当にいいんですってば」 「ジョミー・・・」 「明日になったら、うさぎさんリンゴ剥きますから」 ちゃんと上手く剥けるかは分かりませんけど。 そう微笑んだジョミーの想いが伝わったのか、ブルーの肩が揺れる。嬉しさと、どこか切なさの混じったようなブルーの想いがジョミーの心に触れた。震える心に、やっぱりどうしようもないぐらいこの人が好きなんだと自覚する。 今度こそ・・・・今度こそ一緒に食べましょうね。 そう囁くように告げた言葉に、小さく頷いた銀の髪。 青白い光を受け輝くそれに頬を寄せ瞳を閉じた。 それは、いつかの銀。 END 思いっきりギャグになる予定・・・だったんですけれど・・・あれ?それにしても青爺にほだされまくっている孫でした・・・はい。 →ブラウザのバックボタンでお戻りください。 |