天に咲く花、地に眠る花 [5] ここは灰色の世界。 約束された未来なんてどこにもなくて。 立ち竦んだまま、一人僕だけが置いて行かれるんだ。 咳が・・・止まらない。 遠くで、名を呼ぶ母の必死な声が聞こえるけれど、それもどこか遠いところで響いているようだった。苦しい、それだけが思考を埋め尽くす。 ひくりと震えた咽喉が一瞬呼吸を止めた。咽喉から洩れるひゅーひゅーという音の何と聞き苦しいことか。笑おうとして、再び始まった激しい咳き込みに肋骨が折れそうな気がして正直ぞっとした。そう、この痩せた身体ではほんの少しの圧力でぽっきりと折れてしまうに違いない。そこまで考えて、別にそれでもいいか・・・と諦めにも似た考えが過ぎる。 こんなにも辛い毎日が終わるならそれでも・・・。 ぎゅっと握り締めた拳に浮かんだ白い筋が、明るい陽射しの差し込む真白な病室でやけに白く感じられた。 「シロエ、その後具合はどうだ?」 「別に、いつも通りですよ」 可もなく不可もなく・・・ってところですね。 そうか・・・と自分のことのように肩を落とした一つ上の先輩に、小さくため息を吐いた。ベッドの上から見上げる先輩は、シロエが通うはずだった高校の制服を着ている。それを羨ましいとまだ思う自分がいることにちりちりと胸が焼け付くような痛みを訴えた。そのせいか零れ落ちた言葉が刺々しくなってしまう。 「サム先輩、先輩ががっかりしても何も変わらないんですよ」 「いや、それはそうなんだが・・・」 俺はシロエに早く元気になってもらいたいんだ、と髪と同じ鳶色の瞳を細め優しく笑ったサムに、シロエはもう一度ため息を吐いた。白い病室内で一際目立つ黒髪から覗く薄紫色の瞳を眇め、今度はこれ見よがしに大きく。 「僕のことは放っておいてください。そう何度も言ってるはずです」 シロエ・・・と困ったように顔を歪めたサムから顔を背け、窓の外を見る。季節は春。咲き誇る桜が、晴れ渡った青空と見事なコントラストを奏でている。それなのに、この病室から出ることすら叶わない身体。惨めな思いに苛立ちばかりが募る。 「帰ってください。もう疲れました」 ごめんな、また来るよと小さく笑い、サムが病室を出て行った。それにすら振り返ることなく頑なにただじっと窓の外を眺めていた。しばらくして、病院の外来玄関から出て行くサムの後ろ姿が見えた。徐々に遠ざかる背中。やり切れない思いが胸に込み上げる。サムが悪いわけではないのだ。 せっかく見舞いに来てくれたのに。 ベッドの上、抱え込んだ膝に顔を埋める。 優しい言葉にすら棘のような言葉しか返せない自分がひどくみじめだった。どうして。なんで。締めつけるような胸の痛みに、思わず胸元のシャツを握り締める。 息ができない。この場所だけ空気がないのではないかというほど、息苦しくて堪らなかった。白いベッドも白い病室も、動くことさえままならないこの白い身体も、何もかもがイヤで堪らない。ふと、脳裏を青い空が掠める。今が盛りと咲き誇る桜さえその一部として包み込むあの澄んだ空を見られたら。もっと間近に見ることができたら。少しはこの息苦しさも消えてくれるだろうか。優しい気持ちになれるだろうか。 「・・・屋上へ・・・」 そうだ、あの場所からならもしかしたら空にさえ手が届くかもしれない。あり得ないと分かっていてもそれはとても素敵なことに思えた。午後の検診にはまだ時間があるし、母親も医師と話があるとかで今はいない。抜け出すなら今しかない。そう思いシロエは重い身体を引き摺るようにしてベッドから降りた。 屋上までにはエレベーターで3階上に行き、そこから先少し進んだ廊下の突き当たりに屋上への階段がある。シロエのいる病院は街を見下ろす高台にあるため、街中のビルよりもずっと空が近くに感じられるのだ。まだ身体が今よりも自由に動いた時、こっそり何度か上がったことがあった。その時見上げた空の青さを今でも覚えている。忘れようと思ったって忘れらないぐらい綺麗な青だったから。 ゆっくりと一段ずつ上がる階段は、数にしてせいぜい十二、三段程度。それでも弱り切った身体にはきつくて、休み休み上がるので精一杯だった。時間をかけ、ようやく最後の階段を登りきった踊り場で屋上への扉に手をかける。一気に開け放った。 視界に飛び込む青。 どこまでも広がる無限の空。 思わず息を呑んだ。 入り口に立ち尽くすシロエの前髪を、吹き抜けた風が舞い上げて行く。 ふと、何かに惹かれるように巡らせた視線の先に人影があった。 陽の光を受け眩しいほどに輝く金の髪。 空に向かい差し出す両手はまるで空を抱きしめるかのようで。 眩しさに瞳を細めた瞬間。 その背に、確かに純白の翼が見えた。 ・・・と、思った。 END 今更ですが、今回のお話はキスシロ風味も入る予定です。個人的にシロエが好きです。原作ではジョミーとの絡みはありませんが、きっとあの二人は似たもの同士だと思います。一途なところとか。あ、でもシロエの方がより意地っ張りかな。 →ブラウザのバックボタンでお戻りください。 |