天に咲く花、地に眠る花


[6]







「・・・て・・・んし?」

背後から聞こえた小さな呟きに、ジョミーははっと我に返った。
その両の手から、幼い魂の小さな輝きがすっと消えて行く。

―――ありがと・・・。

微かに届いた嬉しそうな声。
それに安堵しながら、ジョミーはゆっくりと振り返った。

呟きの主は、黒髪に薄紫色の瞳が印象的な少年だった。ほっそりと言うよりは痩せた・・・という言葉がしっくりくるような細く小柄な身体。その白さが目立つ中、驚愕に見開かれた薄紫色の瞳がジョミーを見つめていた。
思考を巡らすように瞳を閉じる。先ほど天上へと幼い魂を送り出す時に天使としての力を使ったが、その時発現する翼とは言え自分が見せようと意識しなければただの人間に見えるはずもない。きっと何かの間違いだろう。そもそも人間にとって自分達天使など想像上の存在でしかないはずだ。それにしても彼の、鳩が豆鉄砲をくらったような顔が面白い。くすくす笑いながらフェンスに凭れた。

「天使だなんて、恐れ多い褒め言葉だね」

「だって・・・今・・・」

「今?今何かあった?」

不思議そうに首を傾げたジョミーに、シロエは混乱したように額に手を当てる。それに構わず続けた。

「僕はジョミー。ジョミー・マーキス・シン。君は?」

「え?僕・・・は・・・シロエ。セキ・レイ・シロエ」

「そう、シロエって言うんだ。初めまして。ここの患者さん?」

「あ・・・はい。あなたは?」

混乱から立ち直ったように、ようやく薄紫の瞳が真っ直ぐジョミーを見つめた。

「知り合いのお見舞いに来て帰るところなんだけど、高い所が好きだからついここに寄り道しちゃってさ」

ここは空が近くていいよねと笑ったジョミーに、そうですねとシロエも笑った。
見上げた空は、どこまでも青く澄んでいて。
二人の間の空気が柔らかなものへと変わる。

「良かったら隣どうぞ。風が温かくて気持ちいいよ」

ジョミーの申し出に、シロエは遠慮がちに頷いた。
初めて会った人なのに。いつかの日、テレビで見た遥かな大地をどこまでも染める草原の緑のような鮮やかな瞳に惹き付けられる。話してみたい・・・と思った。温かな笑みに促されるようにジョミーの隣に座ると、ジョミーがシロエの黒髪にそっと触れた。

「綺麗な黒髪だね。僕の友人も黒髪なんだけど、彼よりも君の方が細くて柔らかいな」

「・・・栄養が足りないだけだと思いますが・・・」

「そう?そんなことないと思うけど」

天上では珍しい黒髪。滅多に触らせてなんてくれないけれど、いつだったかその機会に恵まれた際触れたキースの髪は艶やかだけど、少し硬かった・・・と思う。触り心地としてはシロエの方がいいなと内心ジョミーが勝手に比較していると、シロエが不思議そうな顔をした。

「ジョミーは何でそんなに嬉しそうなんですか?」

「え?だってシロエとお話できるから」

天使としてではない人との関わりに少しだけ心惹かれていたから、偶然とは言え、こうやって話せる相手ができたことが純粋に嬉しい。キースに知られたら、自覚が足りないと怒られるかもしれないけれど。

だって、仕方ないだろう?

一心に儚い生命を紡ぐ人という存在は、それだけで輝くように美しい。

神に人を愛するように位置づけられた天使であるジョミーにとって、人は全て神の愛し子なのだから。本当は導くべき魂を送り出したら、すぐに待っているキースの元へと戻るはずだったけれど、少しぐらいいいよなと独り言ちる。初めての地上で浮かれていたのかもしれない・・・とは後で思ったこと。

「僕なんかと話したって面白くも何ともないですよ・・・」

にこにこ微笑むジョミーに、聞いたシロエの方が紅くなった。そんなことないと首を振ったジョミーに、先ほどの苦い思いが甦る。ずっと誰かに聞いて欲しかったのかもしれない。自分を知らない誰かに。

「僕は、酷い奴なんです。せっかく・・・お見舞いに来てくれたのに。先輩が悪い訳じゃないのに。あんな・・・あんな酷いこと・・・」

俯き、ぽつりぽつりと話すシロエの顔がどこか泣きそうで、ジョミーはそっとその頭に手を乗せる。ぽんぽんと優しく叩かれ、驚いたように振り返ったシロエに微笑んだ。

「シロエは優しいんだね」

「そ・・・んなことないです・・・だって・・・」

「優しいよ。君の心が泣いているもの。一番傷ついているのはシロエ、君だよ。先輩にそんなことを言ってしまった自分が許せないんだね」

だから僕が許してあげるよ。

君が許せないなら僕が許してあげるから。だから泣かないで。

言われて、シロエはずっと泣きたかったんだと気が付いた。病気に負けてはいけない。心配させてはいけない。泣いたりなんかしたら自分がみじめなだけだと・・・ずっとずっとそう思ってきた。でも本当は泣きたかった。大きな声で泣いて、泣いて。

この言いようのない想いをぶつけたかったんだ・・・。

ぽろぽろ零れ落ちる大粒の涙が頬を濡らす。そんなシロエをそっと抱きしめジョミーが小さな声で歌う。初めて聞く歌だ。何語かは分からないけれど、高く、低く、心を癒すような優しい旋律。宥めるような手が優しくて、また涙が溢れる。一生分泣いたんじゃないかと思うほど、泣いた。

金の髪に、緑の瞳。不思議な人だと思う。
会ったばかりなのに、あっさりとシロエの欲しかった言葉をくれるなんて。
それにどこか・・・懐かしいような気がして、シロエは涙が零れる瞳を閉じた。

そのあたたかな腕が・・・心地よかった。



「僕、そろそろ行かないと・・・今日はありがとうございました」

話聞いてもらえて良かったですとまだ真っ赤な瞳で笑ったシロエに頷き、ジョミーも立ち上がる。部屋まで送ろうかと申し出たジョミーに、大丈夫ですと首を振り、シロエが屋上を出ようと踊り場に足を踏み入れた。明るい場所から暗い場所へと移動したため、一瞬目の前が真っ暗になる。

「!?」

「危ない!シロエ・・・!」

階段で足を踏み外したシロエに、ジョミーは慌てて手を伸ばした。寸でのところで捕まえられなかったシロエの身体が落ちる・・・と思った時、下から誰かが抱き止める。かろうじて落ちずに止まったシロエにほっと安堵の吐息を洩らし、ジョミーはシロエを覗き込んだ。

「シロエ、シロエ!大丈夫?」

「あ・・・はい・・・すみません。あの、ありがとうございます」

まだぼうっとしながらもなんとか体勢を立て直し、階段にずるずると座り込んだシロエを心配そうに見ながら、ジョミーはシロエを助けてくれた人にお礼を言おうと顔を上げて思わず息を呑んだ。

暗がりでさえ分かる美しい銀の髪。

深く、なのに透き通るような真紅の瞳。

奇跡という言葉で形作られたと言ってもいいぐらいに美しい青年が立っていた。










END




・・・ようやく?


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