銀の雨、金の雨


[9]







名を呼ばれ、差し出された手を取った時。

胸に満ちたのは嬉しさと喜びだけ。

その手を放す日・・・放さなければいけない日が来るなんて思いもしなかった。






ジョミー・・・と、呆然と見開かれた瞳に微笑む。
ずっと言わなくてはいけないと思っていた言葉。
告げる時、泣かずにいられる自信なんてなかったけれど、ちゃんと笑えている自分が少しだけおかしい。

こんなに・・・こんなに好きなのに。

「だから、さよなら」

世界で一番大切で・・・大好きな人。

手に持った鞄をぎゅっと握り締め、出て行こうと背を向けた。取っ手に伸ばされた手が、だけどそれを掴むことはなかった。強い力で背後から抱き締められる。

「放して」

「・・・せない」

「一緒にいられないんだ。いてはいけないんだ。だから・・・っ!」

放してと振り払おうと上げた腕ごと強く抱き締められた。その強さに息を呑む。

「ダメ、だ。ジョミー・・・僕は・・・」

放せない。

掠れるほど小さく震える声がどこか泣きそうで、ジョミーも堪えていたものが溢れ出そうになる。だけど、決めたのだ。自分は。今度こそ、今度こそブルーのために。だから。

放して、と二度と見ることは叶わないと思った真紅の瞳を見上げた時、そこに映る悔恨と、これは脅え・・・だろうか、揺れ動く複雑な色を見とめ、ジョミーは言葉を呑み込んだ。

「・・・ブ、ルー・・・?」

何で・・・泣いてるの?



涙など無くても、彼の心が泣いて、叫んでいるのが分かった。



大きく見開かれた翡翠の瞳が、揺れる。

「・・・何で、そんな顔・・・するの?」

いつだって自分を守ってくれた人が、今は抱き締めたくなるほど苦しそうな顔をしている。そんな顔をさせたい訳じゃなかった。ブルーには幸せになって欲しくて。そのために、ブルーを不幸にした自分が傍にいてはいけないのに。

それなのに何故ブルーが泣くのだろう。混乱するジョミーに、ブルーが搾り出すような声で、すまない・・・と告げる。

「何で・・・何でブルーが謝るの?」

分からない。謝るべきは自分だ。
ブルーからすべてを奪っておきながら、忘れたフリでずっと傍に居続けた卑怯な自分なのだ。

分からない。分からない。分からない。

震える声で問うた言葉に、ブルーが堪えるように眉を寄せた。迷うように開かれた唇が、何度かの躊躇いの後紡いだ言葉は衝撃的なものだった。

「五年前の事故は・・・僕のせいだ」

思いもかけない言葉に思わず叫んでいた。

「それは、ブルーのせいじゃない!」

僕のせいだ!

「違うよ、ジョミー。僕のせいだ」



・・・僕が、君を愛してしまったから。



「・・・え?」

小さく微笑んだブルーの瞳が翳る。そう、まるで自分を責めるかのように。だけどあまりに信じられない言葉にジョミーはただ呆然と聞き返すことしかできなかった。

「大学進学と同時に家を出たのは・・・ジョミーへの想いに戸惑ったからだ。その頃すでに、僕はジョミーを弟と思うことができなくなっていたから・・・だから家を出たんだ」

このまま一緒にいたら、いつか酷く傷つけてしまうかもしれないと、胸で暴れる優しいだけではない感情に戸惑い、脅えた。

そして、逃げた僕をそれでもジョミーは慕ってくれた。

会いたいと願ってくれた。

そうして・・・起こってしまったあの事故。

ジョミーを抱き締める腕が震える。

「僕が、家を出たりなどしなければ・・・あんな事故は起きることはなかった。ジョミーが苦しむこともなかった。そう、ジョミーのせいなんかじゃない。・・・ジョミーからすべてを奪ったのは、僕の方なのだから」

「ブ、ルー・・・」

何を、何を言っているのだろう、この人は。
呆然と見上げるジョミーの髪を、愛しそうに、だけど苦しそうにブルーがそっと撫ぜた。

「事故の後、何度も考えた。苦しむ姿を見る度、ジョミーにそんな想いをさせた僕が傍にいるべきではない。ジョミーを解放してあげなくてはいけないと。何回も何百回も何千回も何万回も考えた」

だけど、できなかったんだ。

どんな理由を並べ立ててもいい。

ジョミーと離れることだけは、どうしてもできなかった。

近づいた真紅の瞳が泣きそうに微笑んだ。

「酷い人間だね、僕は。ジョミーを守るとそう言いながら、ただ傍にいたかっただけなんて」

本当はそんな資格などとうに失ってしまったというのに。

血を吐くような言葉に、震える。違う。そうじゃない。ブルーは悪くない。ああ、僕はブルーが苦しんでいたなんて知らなかった。自分のことで手一杯で、ずっと・・・ずっと知らなかった。

「ブルー、僕は・・・!」

もうダメだった。胸に込み上げた想いに抗う術などなくて。だけど震える唇では上手く言葉が紡げない。ブルーの手が壊れ物でも扱うように、そっとジョミーの頬を辿る。どこまでも優しいその手は小さく震えていて、堪えられないとでも言うようにブルーが唇を噛んだ。

「今だって・・・今だって本当は君の手を放さなくてはいけないと分かっているんだ。分かっていて、それでも僕は放せない」

もう一度強く抱き締められる。温かな腕は焦がれて焦がれて、諦めたもの。

「今度こそ君の笑顔を守ろうと。そのためならどんなことでもしようと誓ったのに。僕はまたこの手を放せないなんてね・・・。僕を・・・罵ってもいいよ。憎んでもいい。それでも、この手だけは放せない。だから・・・」

傍にいて欲しい。

許して欲しいだなんて言わない。

愛して欲しいだなんて言わない。

ただ傍にいてくれるだけで、それだけでいいんだ。

すまない・・・と告げられた言葉が自分にとってどれだけ嬉しいものなのか、どうしたら伝えられるのだろう。この優しい人にどう伝えたらいいのだろう。
震える手がブルーの頬に伸ばされる。そっと触れた手に、ブルーが瞳を見開いた。

「ジョミー・・・」

「バカだよね、本当・・・」

なんてバカな僕ら。

背伸びをして、ブルーの唇に口付ける。
それは触れるだけの優しいキス。

だけど、ありったけの想いを込めた。

「ブルーが好き」

大好きなんだ。

ブルーの顔が、泣きそうに歪んだ。それでもなお美しいその人に、もう一度口付ける。
言葉だけでは伝えられないから。自分がどれだけブルーのことを好きなのか。伝えられないから、もう一度。ジョミーの気持ちなど関係なく勝手なことを言うこの人の、心の奥の奥まで届けばいいと願いながら。

「ブルー・・・」

大好きだから傍にいられないと思った。
傍にいてはいけないと思った。

自分は、ブルーと一緒に笑い合うことなど許されない罪を犯したのだと。

なのに、それすらもブルーは自らの罪だと言う。
ジョミーを愛したことがすべての始まりだから、と。

それでも、分かっていながらも手を放すことができないと告げるブルーの心は泣いていた。

どうしようもないほどのエゴだと自嘲する心が、それでもと泣く。

それなら。

それなら、そう告げられて喜びに震えてしまった自分もまた、同罪ではないか。

ブルーのせいじゃない。

ジョミーのせいじゃない。

それなら・・・きっとそれは二人の咎だ。
他の誰でもない二人の、二人だけの。



一人では償い切れないものでも、二人ならきっと。










END




いつの間にかジョミーの方が大人です。・・・あれ?何でこう書いていると私のブルーはへたれになるんでしょうか。おかしい・・・ι(´Д`υ)

・・・色々すみません(汗)


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