闇の果てに揺れる光


[3]







優しかった母が息を引き取ったのは、冬の寒さが厳しい夜明け前だった。

震える声で何度もごめんねと謝る母に、ただ首を振ることしかできなくて。

力なく閉じられた瞳から、零れ落ちた最後の雫が今も瞼の裏に焼きついて離れない。



母を亡くし、独りぼっちになった自分を見つけてくれたのはあの人で。

だから、あの人のために生きようと思ったのだ。



・・・それなのに。それだけだったのに。






「・・・っ」

焼け付くような熱さに唇を噛んだ。

右肩から流れ出る血は止まることを知らず、朱にその手を染めていく。思った以上に深手のようで、己の失態に小さく舌打ちした。油断していた訳ではないけれど、一瞬気が逸れたのは事実だ。戦いの最中に気を散らすなど言語道断だというのに。らしくない行動の理由が分からず、ジョミーは苛立ちながらいまだ手に持つ剣を鞘へと収めた。

今夜は下弦の月。

僅かな月灯りに照らされた暗い路地裏に、伸びた影がいっそう濃い闇を作る。
少し離れた場所に転がるランタンの灯りが風に揺れた。
それによって、闇の中、一瞬浮かび上がった幾つかの黒い影に瞳を閉じる。
すでに息はない。当然だ。自分が止めを刺したのだから。

小さく息を吐き歩き出そうとしたが、不意にふらりと身体が傾ぐ。
よろめくようにわき道に滑り込んだ。

肩に走った痛みなどどうということはない。だが、止まらない血に目が霞み始めたのが、暗くなる視界で分かった。失った血が多すぎるようだ。身体が限界・・・ということなのだろう。だが、こんな所で倒れる訳にはいかなかった。騒ぎを聞いてすぐに警備隊が駆けつけるはずだ。ここ最近続く事件に、幾ら腐敗し名ばかりの警備隊とは言え、彼らも神経を尖らせているのだから。まだ・・・まだ捕まる訳には行かないのだ。

朦朧とする意識の反面、どこか冷静に思いながら、人目を避けるために縋るように壁に手を付き歩き始めた路地裏で、しかし、とうとう膝が崩折れた。力が、入らない。ダメだと思いながらも倒れる身体を支えることなどできなくて。

すべてが完全なる闇に閉ざされる瞬間、視界を掠めたのは血のように紅い宝石。

鮮やかなその色がただ綺麗で。

美しい・・・と思う。



・・・そこで、意識が途切れた。






―――お前が、あの男の遺志を継ぐ者か。

ガラスのような薄水色の瞳に、彼の瞳によく似た闇より深い漆黒の髪を持つ、自分とそう年の変わらない少年が言った。手を貸して欲しい。この国は変わらなくてはならないと、そう。

地位に溺れ、腐敗しきった貴族連中にただ搾取されるだけの弱き人々。

そんな彼らを救うためにお前の力が必要だ。

頷いたのは興味を覚えたから。別に彼が死んでから突然現れた少年の言葉に感銘を受けた訳ではない。彼に引き取られる前も、彼の下でも。そして彼がいなくなった今となっても。この世界は何も自分にもたらさない。いつだって見えない何かに隔てられているかのように、遠く届かない硝子越しの世界。

だけど。

人を斬ることで、それでこの世界が変わると言うのなら。

自分にできることがあると言うのなら。

もしかしたら今度こそこの手は届くのかもしれない。

そんな考えが頭を過ぎった。
小さく、だが確かに頷いた自分に、少しだけ眩しそうに瞳を細め少年が笑った。随分大人びた印象を与える少年だったが、その笑顔は年相応のものに見えたことを覚えている。



世界は、変わらなくてはならない。

変わらなくては・・・。



その言葉は、いつしか自分にとっての希望となっていたのかもしれない。






次に目が覚めたのは、古ぼけた小屋の中だった。見慣れない場所に、自然と手が左脇を探るが、そこに探すものはなかった。起き上がろうとして、肩の痛みに息を吐く。そうだ。右肩を自分は・・・。意識を手放す前のことを思い出し、ジョミーは眉を顰めた。

路地裏で倒れたことまでは覚えている。しかし何故こんな場所にいるのか分からない。真新しい包帯が巻かれ処置された右肩を見る限り、誰かが運んで手当てをしたのだろう。しかし、一体誰が。いや、誰でもいい。とにかく一刻も早くここを立ち去らなければ。左手を付いて立ち上がろうとした時、不意に声が響いた。

「ダメだよ、起き上がっては」

突然の声に身構え入り口を見れば、誰かが立っている。逆光でよく見えないが、声からして自分と年の変わらない少年のようだった。

「ああ、眩しかったかな?ごめん。今閉めるから」

ゆっくりと閉められた扉から微かに漏れる光を受けて、月のような銀の髪が光る。

そして。

血のように鮮やかな真紅の瞳がふわりと微笑んだ。










END




笑わない人は一人でいいです。


→ブラウザのバックボタンでお戻りください。