風 邪






「あらあら・・・37.6℃あるわね」



その少し心配げな声に、リョーマはうっすらと目を開けた。
目が覚めた時から、身体が熱くて・・・少し、頭が痛い気がしたが。
先ほどの言葉から察するに、やはり熱があったようだ。
しかも、心なしか咽喉も痛くて、ともすれば咳き込んでしまう。

「リョーマ、今日はもう休んだ方がいいわよ」

カタリと体温計を机の上に置いた母親が、自分の顔を覗き込んだのをリョーマはちらりと見上げた。

「いいよ・・・大丈夫」
学校行く

「まぁ、ダメよ!微熱とは言ってもそんなに低いわけじゃないのよ?今日は休んだ方がいいわ。それに咳も出てることだし・・・風邪は引き始めが肝心なの!」
「もうすぐ関東大会だから・・・」
練習休みたくないんだけど
「ダメったらダメ!大会近いなら尚更でしょう?早く治して練習に専念した方がいいに決まってるわよ」

そう、真剣な顔で・・・しかも正論を言われたら、反論することなどできるわけがなくて。
仕方なく頷いたリョーマに、にっこり笑って母親が言った。

「じゃぁ、母さん、今から担任の先生に電話してくるから」
リョーマは大人しく寝ていなさいね

そう言って部屋から出て行った母親の、パタパタと階段を降りる音が聞こえる。
とさりと・・・身体をベッドに沈めたリョーマは、ぼんやりと天井を見つめた。


熱ねぇ・・・この間出したのはいつだったけ?

もう長いこと熱なんて出していなかったような・・・

やっぱり昨日の雨のせいかな?

風邪を引いたのは


零れた溜め息が小さく部屋に響いた。
昨日、部活が終わった後の帰り道。
急に降り出した夕立に、傘を持っていなかったリョーマはずぶぬれになってしまったのだ。
ようやくその雨の中帰り着いた家で、すぐにシャワーを浴びて温まらなかったのも原因の一つかもしれない。それまで風邪を引いた気配なんて一つもなかったのだから、原因はどう考えてもそれに違いないだろう。
とりとめもなく、そんなことを考えていたら、母親がカチャカチャと何かを運んできた。
ベッドの反対側にある勉強机にそれらを置きながら、寝転がっているリョーマに尋ねる。

「リョーマ、ご飯はどうする?食べれそう?」
「う〜ん・・・あんまり欲しくないかも」
「そう・・・でも食べれるようなら食べないといけないわよ?」
「じゃあ、牛乳とパンでいいよ」
「分かったわ」
ふふ、そう言うと思って牛乳とパン・・・持ってきてあげたわよ

振り返った母親に手渡された、牛乳とパン。
むしむしと食べたパンを、牛乳で流し込むようにして飲み込む。
ベッドで食べるには手軽だからパンにしたけれど、やっぱりご飯の方がいいなぁ・・・などと思いながら食べていた時、玄関のチャイムが鳴った。

「・・・チャイム」
「あらあら、こんな朝早くに誰かしら?リョーマ、食べ終わったらこの薬飲んで静かに寝ているのよ?」

そう言って、「はーい」と返事をしながら階下に降りていった母親が、ドアをカチャリと開けた音が聞こえた。

――――あら、まぁ!ええと・・・確か不二君・・・だったわよね?
――――はい、おはようございます。越前君はまだいらっしゃいますか?
――――それが・・・




・・・数分後。





「え〜と・・・なんでここに先輩がいるんスか?」


ベッドの縁に腰を下ろした不二を見上げながら、リョーマは低く呟いた。
その言葉に不二がにっこり笑う。

「だって一人じゃ退屈でしょう?」
「いやそういうことじゃなくて!先輩、学校は?」
行かないといけないんじゃないんスか?

きっと睨みつけるように見つめるリョーマに、う〜ん・・・と少し困ったように小首を傾げて、不二がゆっくりとリョーマを見つめ返した。

「リョーマ君が風邪で熱だって聞いて、ボク一人学校に行けると思う?」
「・・・なんか論点が違う気がするんスけど」
「大丈夫!リョーマ君のお母さんが電話してくれたから」
「は?」

思わず目が点になったリョーマの髪を、さらりと梳きながら不二が笑った。

「優しいお母さんだね。リョーマ君のことが心配だから・・・って言ったら、じゃあ側にいてあげてくれる?って」
「・・・母さん・・・」
何考えてんの、ほんと

頭痛がするのは何も熱のせいだけではないだろう。
深く溜め息をついた時、トントンと、ドアをノックする音が聞こえた。
開いたドアから件の母親が中を覗く。

「何?」
「リョーマ、あのね、母さんちょっと買い物に出かけてこようかと思うんだけど・・・」
「行けばいいじゃん」

それがどうしたんだ、と言わんばかりの視線を向けた息子から、不二に視線を移して申し訳なさそうな顔をした。

「不二君、リョーマのこと・・・少しの間だけどお願いしてもいいかしら?」
「はい、もちろんです、お母さん」
「良かった!じゃぁ、一時間ぐらいで戻れると思うから」
行ってくるわね

ほっとしたように笑って、母親がドアを閉める。
少しして、玄関の閉まる音と次いで車の音がした。
どうやらもう出かける準備ができていたらしい。
今日は従姉の菜々子も大学が一限目からあるらしく、早々に家を出ていない。
あのクソ親父は、鍛え方が足りんなぁ?などと言いながら裏の寺に行ってしまった。

今、この家には自分と不二の二人しかいない。

ふっとそんなことが頭を掠めた時、不意に不二がきしりとベッドに手をついた。
陽射しがブラインドの隙間から、部屋へと光と影の造形を作る。
薄暗い部屋の中で、不二が小さく囁く。

「二人っきりみたいだね」

図星を指されたのかと思った。
どきんと、跳ね上がった心臓の音に内心焦る。
焦るが、一度どきどきし出した心臓はなかなか静まらなくて。
慌てたような目を伏せた。

心なしか、体温も上がったような気がする。

そう言えば熱を出したていたんだっけ?

沈黙がしばしの間その場を支配する。
遠くで小鳥がさえずる鳴き声が聞こえたような気がした。

「う〜ん・・・困ったなぁ」

小さく呟かれた言葉に思わず顔をあげると、言葉とは裏腹に嬉しそうな顔をした不二がいた。黙ったまま見上げるリョーマをじっと見つめながら、不二が笑う。

「そんな潤んだ目をされちゃうと・・・ね?」
なんだかキスしたくなっちゃうよ

そう言って、次の瞬間。
リョーマから掠めるようなキスを奪った。

「っ!!?」

真っ赤になったリョーマにもう一度微笑んで、今度は深く口付ける。
不二は、覆い被さるようにリョーマの右側に左手をつき、右手で顎を捉えていた。
口腔を犯す舌に、逃げようとする舌を絡め取られ、リョーマの背中にぞくりとした快感が這い登る。

「んんっ・・・!」

あげかけた抗議の言葉は吸い取られて音になることなく消えた。
口付けて、離れて、もう一度口付ける。
何度も繰り返される口付けに頭の芯がしびれたようにぼうっとなった。

力が抜けて、ずるりとベッドに沈みそうになった頃。
・・・ようやく口付けから解放された。





「・・・風邪・・・移るっスよ?」

真っ赤になりながらも、きっと睨みつけるリョーマの憎まれ口に不二がくすりと微笑んだ。

「移した方が早く治るって言うよ」
ふふ、もう一回しようか?

笑う不二から視線を逸らし、リョーマは脱力した。
もう風邪を引いたって知るもんか!
そんな気持ちのまま、バサリと布団を被って潜り込む。

「あれれ?リョーマ君?」
「寝るの!!」
「そっか・・・おやすみ」

思いがけない優しい声に戸惑いながらも、ぎゅっと布団を握り締めた。



くるまった布団の中。
火照る頬をパチンと叩いて、瞳を瞑る。

あんなヘンで。
自分勝手で。
何でも分かってる・・・みたいな顔をする不二が。

それでも好きだなんて・・・バカみたいだ

悔しい気持ちが込み上げてくる。
負けたわけじゃないのに、負けたような気分。


いつか・・・絶対、負かしてやる!!


そんな想いを今日もまた抱いた。





結局、熱は一日で引いて。
そして何故か咽喉の痛みもなくなり、咳き込むこともなくなった。

「風邪・・・じゃなかったのかしら?」

と、不思議そうに首を傾げた母親を横目で見ながら、夕方家に帰って行った不二のことを思い出した。

”移した方が早く治るって言うよ”

「・・・まさかね」
「何?何か言った?」
「・・・別に」





次の日。
青学テニス部部室にて。


「ちぃーっス」

一応の挨拶をしながら入ったテニス部部室内。

げほん、げほん・・・
ぐずぐず・・・ごほほ

普段聞こえることのない音に視線をあげると、そこに。
鼻をぐずぐずとさせながら、咳をする部員達の姿があった。

「・・・?」

風邪でも流行っているのかとリョーマが思った時、着替え終わった不二が振り返る。

「あ!リョーマ君!もう大丈夫?」
「・・・うっス」
「良かった」

嬉しそうに微笑んだ不二の後ろで、部員達の目が虚ろに笑っている。

「・・・どうかしたんスか?」

さすがのリョーマも、不気味なその姿に思わず不二を振り仰いだ。
それに軽やかな笑い声をあげて不二が答えた。

「う〜ん・・・風邪みたいだよ?みんな」
「流行ってるんスかね?」

ふ〜んと思いながら見回したリョーマに、引きつったように桃城が囁いた。

「なんかさ、今朝起きたら急にこんなでよ〜」

そこまで言ってちらりと不二を見る。

「何?桃城?」

にっこり笑った不二から慌てて視線を逸らして、桃城が額の汗を拭った。

「な、なんでもないっス!!」
さぁ、部活だ〜部活ぅ〜っげほげほ・・・

咳き込みながらも、冷や汗を流しながら腕をぐるぐる振り回す桃城を見て、リョーマは唐突に昨日のことを思い出した。

「まさか・・・?」
「どうしたの?リョーマ君?」

恐る恐る見上げた先で、不二がゆっくりと微笑んだ。
その微笑みは、穏やかでとても優しげだったけれど。
リョーマには分かってしまった。
というか、考えるのも恐ろしいけれど、そう考えるのが一番自然で。



ようするに、不二はリョーマの風邪を、文字通り人に移したのだ。



あの状況で移るかもしれない不二に移らず、何故かテニス部部員達に移っている。
どうやったかなんて分からないけれど。
否、人間としてそんなことが可能だなんて普通は思わないけれど。
それでも、この不二ならそれすらも軽々とやってのけそうで。
リョーマは軽い眩暈を覚えた。
だけど、隣りで微笑む不二は、リョーマの回復を心から喜んでいるらしく、いつも以上に優しい微笑み。

「ま・・・いっか」

自分の風邪も治ったし、不二も平気。
なら問題なしじゃん?

と、あっさり納得してしまった。
可哀想なのは部員達である。
朝起きたら、いきなりの咽喉の痛みと身体のだるさ。
訳も分からず学校に来てみれば、同じような状態のテニス部一同。

心当たりもないのに突然テニス部に蔓延した風邪。
そう言えば昨日越前が風邪で休んだ・・・という事実と。
見舞いに行ったらしい不二までもが学校を休んだらしい・・・ということを考え合わせると。
考えたくもないことが自然と頭に思い浮かんでしまう。
しかもレギュラー陣はきっちり除くといった芸の細かさ。

そう・・・実は風邪から免れたメンバーは、レギュラー陣のみ。
レギュラー落ちした桃城も、その例外ではなかったのだ。


さすが天才不二・・・!


と、誰かがもらしたとかもらさないとか。
とにかく不二には逆らうまい・・・と固く誓いあうテニス部一同であった。










END




突っ込みどころ満載v(爽やか)
え〜と、これは私が風邪引いて熱を出した時に、のんきにも考えていたお話です。
まぁ、当初と大分内容が変わっていますが。ようやくUPできてひとまずほっとしてます(^^ゞ
しかしそれにしても書けば書くほど不二先輩がヘンになっていく気がするのは気のせいでしょうか?(気のせいじゃない)
そもそも朝っぱらからリョーマの家を訪ねる・・・なんて夢見過ぎですかね?
マイ設定で申し訳ないんですが、毎朝一緒にご登校されているみたいです、お2人は。
でもって母親公認!?・・・う〜ん、正直ここまで話が捻じ曲がるとは思ってもみませんでしたよ(笑)
とりあえず書きたかった場面が二つ・・・書けたのでよしとします!
色々思う所はあると思いますが、未熟者め〜とでも笑って許してやってくださいませ・・・。


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