quencher



[ act.1 ]



多勢に無勢とはこんな状態を言うのだろう。


この森を抜けたら漸く街だと思った矢先に盗賊に出くわしたのだ。
この辺りを縄張りとする者達らしく、地の理を熟知しているようだった。
カミューも剣の腕にはかなり自信があったのだが、不慣れな土地で敵の数も多く、しかも中々の手練揃いだ。僅かな気の逸れでも致命的な傷を負うことになる。

しまったと思った時には既に遅く、腹部に焼け付くような痛みを感じていた。
じっとりと服を濡らしていく熱い血液の感触がやけに鮮明で、流出音がどくどくと耳に響いた。それとは逆に周囲の音が否応無しに遠ざかっていく。

己の愛剣がこんなに重く感じることは初めてだ。
細身の剣であるのに一振り一振りが今ではこんなに重くて。
意思に逆らって身体がその場に崩れ落ちる。
それを契機とばかりに目の前に白刃が迫る。

遠くから駆け寄ってくる足音が聞こえたのはきっと気のせいだ。
こんな街から離れた場所に人の気配があるなんてそんな都合の良い話がある訳が無い。
それなのに、何故か自身に刃が至ることは無かった。
代わりに澄んだ刀身の撥ね返す音が耳に届く。
一時的な貧血で視界が暗転して姿は見えないが、自分以外にも通り掛る人間が本当にいたのだ。

何合かの剣戟の後、急に辺りが静寂になる。
彼らは退いたのだろうか。ぼんやりとそんなことを思う。
顔に何かの影が落ちるのを感じた。
先程の人物が自分の近くに屈みこんでいる。
未だはっきりとしない意識の中で自分の顔を覗き込んでいるのが分かった。

「大丈夫か?」

自分を助けてくれたのはどうやら男らしい。軽く頬を叩かれ、意識の有無を確認される。
手袋越しだったが温かい手の感触に全身の力が抜けるようだった。
体は麻痺したように全く動かず、ただ全身が寒い。
恐らく血が流れすぎたのではないだろうか。
そんなことを冷静に考えられる自分が可笑しかった。

暫くその人物は思案していたようだった。
頬に当てられた手が一旦離れ、温もりが去っていく気配に名残惜しさを感じる。
近くでかりりと何かを裂くような微かな音が聞こえ、再びカミューの顔に男の手が触れた。
次いでカミューの口元に指先が当てられ、何か温かいものを流し込まれる。
やけに甘ったるく感じたそれは何の抵抗も無く喉を通り過ぎた。
それだけで寒気が止まり、身体が楽になるのが分かる。
どうしてなどと思う余裕も無く、只深く息を吐いた。
男は笑ったようだった。
まるで幼子にするかのように額に優しく手を置かれ、男が纏っていたのだろう外套をふわりと掛けられる。

そんなことをされたのは随分久し振りのことで。
ずっと昔に離れた家のことを思い出した。
両親と年の離れた兄とまだ幼かった自分。
今はもう無い、自ら捨てた故郷のはずなのに。


酷く安堵する自身を感じ、そのまま深く眠りに就いた。




+++++






目を覚ましたのは明け方近くで、自分でも驚くほどの爽やかな目覚めだった。


辺りを見回そうとして上体を起こしたのだが、当然感じるはずの痛みがまるで無い。
確か自分は腹部に傷を負っていたはずだ。
かなりの裂傷で、二、三日で治るような傷ではない。下手すると致命傷だ。
思わずその箇所を撫でてみたのだが、指先は傷口の裂傷を伝えることもなく素通りする。
服に付着している血液が乾きかけて肌に張り付くような感触を与えるだけだった。
これでは意識を失う前のことが夢のようだ。
依然掛けられたままの外套と隣で火をくべている男の姿が無かったらそれで終わってしまっていたかもしれないが。
確かに存在している彼の横顔はカミューと同年代か、もしくは一つ、二つ年下ではないかと思わせる容貌で、やけに生真面目そうな顔をしていた。
漆黒の髪に同色の瞳。肌は抜けるような白さで、そのコントラストがはっとするほど人目を引く。すっきりとした端正な顔立ちをした青年だった。
カミューが意識を回復したのに気づくと、嬉しそうに微笑んだ。

「気分はどうだ?喉が渇いているのではないか?」

大したものはないが、と温かい飲物をカミューに差し出す彼の好意に素直に甘えることにする。

「ありがとう。昨日は危ないところを助けてもらったね。私はカミューと言う。君は?」
「マイクロトフだ。元気になって本当に良かった。昨日は運が悪かったな」

さらりと返される言葉にそうだねとカミューは苦笑するが、昨日の傷は本当なら致命傷になり得るものだった。翌日なのにこんなに傷が回復―――というよりもその形跡が跡形も無くなる―――なんてことは常識から言ってあり得ない。
カミューからしてみれば前日のことが夢ではないかとすら思えるのに、この男はそのことについて何も否定しないのだ。

不可思議な男だった。

「傷を治すのはマイクロトフの特技なのかな?」

言外に普通ではあり得ないという意味を含ませてみたのだが、マイクロトフは苦笑しただけだった。
そんな彼の姿に何も言えなくなってカミューは口を噤んだ。
何はともあれ、彼がカミューを助けたのは事実だ。

「ありがとう」

もう一度、今度は本心から言葉を吐く。
必要最低限の礼だ。
たった一言だが、マイクロトフには伝わったようだった。
カミューを見遣る目が微かに瞠る。
彼の肩の力がふっと抜けるのが分かった。
伏目がちだが穏やかに微笑する。
その彼の姿に、何故か心臓がどくりと動いた。
あまり人に深入りしないのがカミューの流儀で、それに則った言葉だったのに、彼の瞳に浮かぶ色は自分の想像を超えていた。


良かったら一緒に次の街まで行かないか、と彼から控えめに提案をされた時、頷いてしまったのはきっとそのせいだ。


彼から一定の距離を引かれた状態であるのに、目の前で諦めと期待が綯い交ぜになったような瞳を向けられて。
自分がきっとどういう表情をしているのか判っていないのだろう。
無意識に浮かべた表情はあまりに彼の願いを表していて、他人に与える手の優しさと彼自身の抱える寂しさ―――と言って良いのか―――を思うと、その手を取らずにはいられなかった。


嵌まったなと自覚したのは多分その時だ。
彼の静かな微笑が酷く印象的だった。










to be continued.....


→prologue



初めまして、こんにちは。青柳と申します。2話目にして漸くのコメントであります。
普段から八ツ橋に急かされ、蹴られ、何とか生息中の青柳ですが、どうも切羽詰らないとやらない性質らしい、自分は(苦笑)
それにしても赤さんが可笑しいです、これ。
瀕死の重傷のはずなのにこんなに余裕があって良いものか?
きっと意識だけ妙にはっきりしている状態なんだろうと自分を納得させていたら、八ツ橋に即座に突っ込まれてしまいました(汗)
とりあえず青さんに一目惚れした赤さん出来上がりです(笑)
相変わらず短いですが、最後までお付き合い頂ければ幸いです。
そのうち青さん視点も書きたいなあ。


はい、八ツ橋です。今回は珍しくも青柳のコメント付きです。
私が社員旅行に行っている間のお仕事、ご苦労さまでしたvちゃんとUPできそうで良かったよ。次回も頑張ってくれたまへv(にっこり)


→ブラウザのバックボタンでお戻りください。